【古橋亨梧セルティック退団】フランスのリーグ・アンとレンヌを解説

海外サッカー

元日本代表の古橋選手がついにフランスリーグ・アンのレンヌに移籍。

欧州5大リーグの一つであるフランスクラブへの移籍は日本代表復帰となり得るのか?

この移籍に関して古橋選手の意図を垣間見るべくフランスサッカー、レンヌ、フランスでプレーしていた過去の日本人選手達、現在の日本人選手達についてチェック。

ピチーチ
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かつて元日本代表の稲本潤一氏が在籍したクラブということを覚えているファンはどれだけいるだろうか?

忘れている、知らなかった方もいると思うので今回はフランスサッカーについて深掘りし、少しでもフランスサッカーを知るきっかけになれば嬉しい。

フランスサッカーのリーグ・アンについて

・概要

フランス国内最高峰のサッカーリーグであり、フランス・プロフェッショナル・フットボールリーグ(Ligue de Football Professionnel, LFP)が運営。

毎年8月から翌年5月にかけて行われ、フランスのトップクラブが競い合うリーグ戦。

リーグ・アンには18チームが参加し、ホーム&アウェイ方式で計38試合を戦う。

シーズン終了時の順位によって、UEFAチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグなどの欧州大会への出場権が与えられるほか、下位3チームはリーグ・ドゥ(Ligue2)に降格、降格プレーオフを戦う。

・歴史

リーグ・アンは1932年に「ナショナル(National)」という名称で創設スタート。

その後1933年に「ディヴィジョン・ナシオナル(Division Nationale)」、そして1945年に「ディヴィジョン1(Division1)」と改名され2002年に現在の「リーグ・アン(Ligue1)」へと名称が変更。

リーグ創設当初、プロリーグへの移行はフランス国内で賛否両論となるが最終的にフランスサッカー連盟(FFF)の支持を得てプロリーグが発足。

初年度の優勝クラブはオリンピック・リール(現在のLOSCリール)。

第二次世界大戦後、フランスのサッカーリーグは急速に発展。

特にスタッド・ドゥ・ランス(Stade de Reims)はこの時代を代表するクラブであり、1950年代に国内リーグを支配。

スタッド・ドゥ・ランスは国際的なクラブとなり、1956年の欧州チャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)決勝へ進出。

1960年代にはASサンテティエンヌ(かつてはM・プラティニや元川崎フロンターレのB・ゴミスも在籍)が台頭し、フランス国内で強豪クラブとして名を馳せる。

特に1970年代にはフランスリーグ最多となる10回のリーグ優勝を果たす国内屈指の名門クラブとなる。

一方、1970年にはのちのフランスサッカー界の盟主となるパリ・サンジェルマン(以下PSGで表記)が設立。

PSGは設立当初からすぐに成功を収めたわけではないが、1980年代に入り徐々に国内屈指のクラブへと成長。

1990年代に入るとオリンピック・マルセイユ(かつては元鹿島アントラーズの中田浩二や現FC東京の長友佑都が在籍、最近では元日本代表の酒井宏樹がレギュラー選手として活躍)が国内および欧州での成功を収め、1993年にフランスのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズリーグを制覇。

しかし、その後の贈収賄スキャンダルにより降格処分を受ける。*結果、この年のトヨタカップは準優勝のACミランが代役来日し南米代表ブラジルのサンパウロに2−3で敗戦

2000年代にはサンテティエンヌの永遠のライバルクラブであるオリンピック・リヨンがリーグを支配し、2002年から2008年にかけて7連覇という圧倒的な成績を残す。

この時期にはリーグの商業化が進み、国外からの選手流入が活発化。

2011年にカタール・スポーツ・インベストメンツ(QSI)がPSGを買収したことで、クラブは世界的なビッグクラブへと成長する。

PSGはネイマールやキリアン・エムバペ、メッシといった世界的スター選手を獲得し、2010年代以降のリーグ・アンを圧倒的な強さで支配。

またリーグ全体としても放映権の増収や海外マーケットへの進出により、国際的な注目度が高まる。

しかし、他の欧州5大リーグ(イングランドのプレミアリーグ、スペインのラ・リーガ、イタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガ)に比べると、リーグの競争力や財政規模ではやや劣る。

ピチーチ
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現在のリーグ・アンはPSG1強時代といっても過言ではない。

・特徴

【1】若手選手の育成

リーグ・アンは若手選手の育成に優れ、多くの選手がここから世界的なスターへと成長を遂げている。

近年の世界的名選手を数名挙げるとティエリ・アンリ、ジネディーヌ・ジダン、カリーム・ベンゼマ、キリアン・エムバペなどはリーグ・アンで育った選手。

【2】財政規模と競争力

近年、プレミアリーグやラ・リーガに比べるとリーグ・アンの放映権収入やクラブの財政規模は劣っている為、有力な若手選手が他リーグへ流出することが大きな課題。

国内ではPSG1強で2位以下との差が歴然としている現状を踏まえると欧州5大リーグの5番目に位置しているのも納得するところの一つ。

【3】国際的な市場開拓

PSGが毎年夏にアジアツアーと題してプレシーズンマッチを日本で開催するのが恒例行事となりつつある(しかも公開練習も有料)。

リーグ・アン全体で見てもアジア市場やアメリカ市場への進出を進めており、よりグローバルで魅力的なリーグへと成長することを目指している。

リーグ・アンの日本人選手達

古橋選手が日本人選手として通算17人目となる。

リーグ・アンの過去現在の選手達

・松井大輔 *ル・マン、サンテティエンヌ、グルノーブル、ディジョン

・酒井宏樹 *マルセイユ

・伊東純也 *スタッド・ランス

・南野拓実 *モナコ

・川島永嗣 *メス、ストラスブール

・オナイウ阿道 *トゥールーズ、オセール

・中村敬斗 *スタッド・ランス

・長友佑都 *マルセイユ

・昌子源 *トゥールーズ

・中田浩二 *マルセイユ

・植田直通 *ニーム

・廣山望 *モンペリエ

・稲本潤一 *レンヌ

・鈴木唯人 *ストラスブール

・伊藤翔 *グルノーブル

・関根大輝 *スタッド・ランス

レンヌというクラブ 

スタッド・レンヌ・フットボール・クラブ(Stade Rennais Football Club ja.wikipedia.org)はフランス・ブルターニュ地方の中心都市レンヌに本拠地を置くプロサッカークラブ。

1901年にレンヌ在住の学生によって創設され、以来100年以上の歴史を持つクラブ。

・初期の創設時と歴史

創設当時のチームカラーは青色系だったが1904年に「FCレンヌ(Football Club Rennais)」と合併後「スタッド・レンヌ・ユニヴェルシテ・クルブ(Stade Rennais Université Club)」と改称。

この合併に伴い、クラブカラーも現在も続く赤と黒に変更。

・クラブ名の変遷について

クラブ名は創設以来、数回の変更を経ており1904年の合併後は「スタッド・レンヌ・ユニヴェルシテ・クルブ」となる。

1971年に現在の「スタッド・レンヌ・フットボール・クラブ(Stade Rennais Football Club)」に改称。

・ホームスタジアム

スタッド・レンヌのホームスタジアムは「ロアゾン・パルク(Roazhon Park)」で1912年にオープンし現在の収容人数は29,788人とサッカー観戦に適した小規模のスタジアム。

このスタジアムは長年にわたりクラブのホームグラウンドとして親しまれている。

・エンブレム

スタッド・レンヌのエンブレムには、2匹の白い動物が描かれており、これは「オコジョ」と呼ばれるイタチ科の動物でヨーロッパでは王族の象徴とされている。

エンブレムには他にも、サッカーボールやクラブ創設年の「1901」などがデザインされている。

ピチーチ
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エンブレムについてのより詳しい解説は下記のフットボールエンブレムさんのサイトがお勧めなので要チェック!

football-emblem.com

・育成について

スタッド・レンヌの育成アカデミーは、フランス国内外で高い評価を得ており1970年に創設され1987年から本格的に始動し、特に2006年から2011年にかけてはフランスサッカー連盟(FFF)の育成施設ランキングで6年連続でナンバー1を獲得。

・タイトル

スタッド・レンヌは、リーグ・アン(フランス1部リーグ)に通算50シーズン以上在籍しており、安定した成績を収めているがリーグ優勝のタイトルはない。

主な獲得タイトル

  • クープ・ドゥ・フランス(フランスカップ):3回
    • 1964-1965
    • 1970-1971
    • 2018-2019
  • リーグ・ドゥ(ディビジョン・ドゥ):3回 *日本におけるJ2に相当
    • 1955-1956
    • 1972-1973
    • 1982-1983
  • トロフェ・デ・シャンピオン:1回 *フランスのスーパーカップ
    • 1971
  • UEFAインタートトカップ:1回
    • 1999

特に2018-2019シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは、PK戦でパリ・サンジェルマンを下し、48年ぶりのカップ制覇。

古橋選手の移籍の真意

スコットランドプレミアリーグよりフランスリーグ・アンのほうがリーグ全体のレベルは上。

しかし、レンヌでは世界最高峰の舞台チャンピオンズリーグ出場は現実問題かなり厳しい。

今季に限って言えばセルティックに在籍していればプレーオフでバイエルン(ドイツ)と戦うことになっている。

毎年、チャンピオンズリーグに出場の可能性があるのはセルティック、リーグ全体のレベルで言えばフランス。

正直、どちらかに天秤をかけた様子が見て取れる。

ピチーチ
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ズバリ!日本代表復帰を第一優先に考えた移籍だったと推測する。

ご存じセルティックは毎年チャンピオンズリーグ出場を果たしている名門クラブ。

在籍クラブでは不動のレギュラーとして活躍するものの日本代表にはなかなか呼ばれないのが現実。

このままだと復帰は厳しいので心機一転、森保監督への最後のアピールと思い移籍したのではないか?

スコットランドよりレベルの高いフランスでゴールを量産するようであれば森保監督も呼ばざるを得ない状況となる。

南野拓実、伊東純也、中村敬斗はリーグ・アンで活躍中で現地での評価も高くコンスタントに代表に呼ばれている。

ゴール量産というわかりやすいアピールで代表復帰し不動のレギュラーとして2026年W杯本大会のメンバー入りが出来るのかどうか正念場を迎えている。

ちなみの現在のレンヌのリーグ戦順位は18チーム中、15位と低迷。

16位のサンテティエンヌ勝ち点差はわずか2。

下位3チームは降格、降格プレーオフになる為、かなり厳しい状況に飛び込んだ決断となった。

今季終了時の結果次第ではリーグ・ドゥ降格となると日本代表復帰はほぼ不可能となり悲願のW杯出場もなくなる。

まとめ:今回の移籍は古橋亨梧にとって代表復帰へのステップとなるか?

森保監督の評価はなぜか低い古橋選手。

リーグ・アンで得点量産となれば代表復帰どころかスタメン確保もいけるのではないか?

現在の代表では確固たる絶対的1トップがいない。

W杯アジア最終予選は99%突破の状況下でこの1トップをめぐるポジション争いが一番の見どころではないか?

2026年W杯本大会開幕は6月。

逆算しての移籍と推測すればタイミングは悪くない。

むしろ最高のタイミングではないかと思える日が来るか目を凝らしてみたい。

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