今季早くも監督解任に至った横浜F・マリノス。
2年連続でのシーズン途中での監督交代によりファンからの不満は募るばかり。
J1屈指の名門クラブはこのままだと史上初のJ2降格行きとなってしまう。
暫定的にヘッドコーチだったP・キスノーボを監督に据えて再出発したマリノスは巻き返しできるのか?

解任理由はズバリ成績不振!サッカーの場合、連敗すると即解任は日常茶飯事。
2025年 試合結果 *J1リーグ第12節終了時点
J1リーグ
2/15 第1節 対 新潟 * | 1-1 |
2/23 第2節 対 広島 | 0-1 |
2/26 第3節 対 横浜FC * | 0-0 |
3/1 第4節 対 湘南 * | 1-1 |
3/16 第6節 対 G大阪 * | 2-0 |
3/29 第7節 対 岡山 | 0-1 |
4/2 第8節 対 名古屋 | 0-2 |
4/5 第9節 対 東京V * | 0-0 |
4/9 第5節 対 川崎F | 3-3 |
4/12 第10節 対 福岡 | 1-2 |
4/16 第12節 対 清水 * | 2-3 |
4/20 第11節 対 浦和 | 1-3 |

J1リーグでは1勝5分6敗と完全にスタートダッシュに失敗!
ACL
2/12 リーグステージ 対 上海申花 * | 1-0 |
2/19 リーグステージ 対 上海海港 | 2-0 |
3/4 ラウンド16 対 上海海港 | 1-0 |
3/11 ラウンド16 対 上海海港 * | 4-1 |
4/27 ラウンド8 対 アル・ナスル | 1-4 |

公式戦を月別で見ると2月は2勝2分1敗、3月は3勝1分1敗と監督解任には時期尚早。
4月に入ると公式戦2分5敗と泥沼状態。
では、監督交代のタイミングはいつが良かったのか?
マリノスの首脳陣にとっては難しい選択ではあるが4/9の川崎F戦後だったのではないか?
4月に入ってからは試合間隔が中2日3日とタイトスケジュール続きで負け、引き分けが込み勝ち点を伸ばせなかったのが現在最下位に沈む要因となってしまったマリノス。
この時期でリーグ戦最下位はクラブ史上初の事ではないか?
横浜F・マリノスの歴史
- 創設と日産自動車サッカー部時代
横浜F・マリノスの起源は、1972年に創部された「日産自動車サッカー部」に遡る。
当時の日本サッカーは企業チームが中心であり、日産自動車も自社のスポーツ振興の一環としてサッカー部を設立。
1976年には関東リーグを制し、全日本社会人大会でも優勝。
これにより日本サッカーリーグ(JSL)2部へ昇格。
1978-79シーズンにはJSL2部で優勝し、1部昇格を果たす。しかし、1部定着は容易ではなく1980-81シーズンには再び2部降格。
1982年には再昇格。以降、日産自動車サッカー部は日本サッカー界の強豪へと成長。
1980年代後半には、国内三大タイトル(リーグ、天皇杯、JSLカップ)を次々と獲得。
1988-89、1989-90シーズンには2年連続で三冠(リーグ、天皇杯、JSLカップ)を達成し、アジアチャンピオンズカップでも準優勝。
この時期に築いた強固な基盤が、後のプロ化への道を拓いたと言われている。
- プロ化とJリーグ創設 横浜マリノス時代
1992年、Jリーグ発足に向けてクラブは「日産F.C.横浜マリノス」に改称。
横浜市をホームタウンとし、プロクラブとしての体制を整える。
クラブ名の「マリノス(Marinos)」はスペイン語で「船乗り」を意味し、国際都市・横浜のイメージと重ねられている。
1993年、Jリーグが10クラブで開幕(オリジナル10)し、横浜マリノスはその一角として参戦。
開幕戦ではヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)を2-1で下し、歴史的勝利をあげる。
Jリーグ元年、元アルゼンチン代表のラモン・ディアスが得点王となる等、攻撃的なサッカーで注目を集めた。
1995年には1stステージ優勝、チャンピオンシップでヴェルディを破り年間王者に初めて輝く。
また、1990年代は天皇杯やアジア・カップウィナーズカップなど国内外のタイトルも獲得し、名実ともに日本を代表するクラブへと成長。
- 横浜フリューゲルスとの合併 「横浜F・マリノス」の誕生
1998年、同じ横浜市を本拠地とする「横浜フリューゲルス」が親会社の経営難によりクラブ存続が困難となり日産自動車との協議の末、横浜マリノスと吸収合併されることが決定。
この合併により、クラブ名にフリューゲルスの「F」を加えた「横浜F・マリノス」が誕生。
合併はサポーターの間で大きな波紋を呼び、フリューゲルスサポーターによる存続運動も展開されたが1999年2月1日、正式に合併が成立。
フリューゲルスの選手の一部もマリノスに加わり、新たな歴史が始まる。
- Jリーグでの躍進
合併後の横浜F・マリノスは2000年の1stステージで優勝し、中村俊輔がMVPを受賞するなど、早くも新体制での成果を上げる。
2001年にはJリーグカップ(現・ルヴァンカップ)で初優勝を果たす。
2003年、岡田武史監督のもと、1st・2nd両ステージを制し完全優勝。
翌2004年も1stステージを制し、浦和レッズとのチャンピオンシップを制してJ1連覇を達成。この間、中澤佑二がMVPを獲得するなど、個人・チームともに輝かしい成績を残す。
2005年以降は中位に甘んじるシーズンも増えたが、常に上位争いに絡み続け、カップ戦でも安定した成績を残し、2013年には天皇杯で優勝し中村俊輔が2度目のMVPに輝く。
- ポステコグルー体制と現代の躍進
2018年にアンジェ・ポステコグルー監督が就任すると、クラブは攻撃的なサッカーに転換。
2019年には15年ぶり5度目のJ1リーグ優勝を果たす。
2022年にもリーグ制覇を達成し、近年のJリーグをリードする存在。
- クラブの特徴
クラブカラーはブルー・レッド・ホワイト。愛称は「F・マリノス」「マリノス」「トリコロール」など。
ホームタウンは横浜市、横須賀市、大和市でホームスタジアムは日産スタジアム(収容72,327人)。
タイトル獲得数:J1リーグ優勝5回、Jリーグカップ1回、天皇杯7回(前身時代含む)。
創設以来、堅守速攻の伝統を持ちつつ、近年は攻撃的サッカーへと進化。Jリーグ創設以来一度も降格がないのは、鹿島アントラーズと並ぶ偉業。
まとめ:ちょっと遅い監督解任 次期監督はもう決まっているのか?
現時点でのチームの成績不振を招いたのは明らかなフロントの対応の遅れ。
サッカーの監督は常に解雇と隣り合わせ。
成績不振を想定して早め早めの対応ができなかったことがマリノスファンの反感を買っている状態。
2年連続でシーズン途中の監督解任はやはりフロントの体制に問題ありと言わざるを得ない。
J1制覇も現実的に厳しくACLもベスト8で敗退し残すタイトルはルヴァンカップと天皇杯だけとなった今シーズン。
暫定監督で今後の巻き返しはなるか?

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